IV-10.「19世紀アジア経済史における東南アジアの位置づけ」(平成26年度 FY2014 新規)


  • 研究代表者:太田 淳(広島大学・大学院文学研究科)
  • 共同研究者:柿崎一郎(横浜市立大学・国際総合科学部)
  • 宮田敏之(東京外国語大学・大学院総合国際学研究院)
  • 多賀良寛(大阪大学・大学院文学研究科)
  • 島田竜登(東京大学・大学院人文社会系研究科)
  • 小林篤史(政策研究大学院大学・政策研究科)
  • 水野広祐(京都大学・東南アジア研究所)
  • 村上 衛(京都大学・人文科学研究所)
  • 城山智子(東京大学・経済学研究科)
  • 久末亮一(日本貿易振興機構アジア経済研究所・新領域研究センター)
  • 神田さやこ(慶應義塾大学・経済学部)
  • 西村雄志(関西大学・経済学部)
  • 杉原 薫(政策研究大学院大学・政策研究科)
  • 籠谷直人(京都大学・人文科学研究所)

研究概要

本研究は、19 世紀東南アジアの様々な地域における経済変容を、実証的地域研究の方法によって検討する。年2 回の研究会でそれらを報告し合い、参加者全員で検討する。東アジア、南アジアを専門とする研究者は、そうした東南アジアの事例がどのように自分の専門地域と連続しているか、または比較し得るかをコメントする。このような活動を通じて、19 世紀東南アジア各地で起きつつあった経済変容が全体的にどのように意味づけられ、さらに東アジアや南アジアにおける変動とどのように結びつけられるかを検討する。

詳細

東南アジア経済は一般に、1870 年代頃から植民地体制の確立とともに世界経済に取り込まれたと理解されている。しかし「華人の世紀」と呼ばれる18 世紀中葉~19 世紀中葉までの貿易・経済構造がどのように世界経済と接続したのか、それが「取り込み」といわれるような後者による前者の強制的包摂(従属)を意味したのかはまだ十分明らかになっていない。現在必要なのは、19 世紀東南アジア経済にどのような変容が起きつつあったのか、外部からの刺激にどのように応じつつあったのかを、東南アジア各地の地域社会から検討することである。本研究ではさらにそれを地域研究の枠組みだけでなく、東アジア、南アジア、グローバル・ヒストリーの専門家との討論を通じて行うことにより、19 世紀東南アジア社会の変容をアジア経済史の中に位置づけることを目的とする。これによって本研究は、東南アジア経済を広域アジアの中で検討し、東南アジア地域概念の再検討に資する基礎的研究となることを目指す。

本研究では、様々な分野の専門家による討論を通じて、19 世紀東南アジア地域社会が一定の自律性を維持していたのと同時に世界経済、植民地経済ともつながっていたことを明らかにする。ここで言う世界経済とは、欧米を唯一の中心とするのではなく、アジアが生産や消費において大きな役割を果たしていたことを認識した概念である。このようにして本研究は、従来別個に行われる傾向の強かった地域社会と広域経済の研究を結びつけ、世界経済の中での役割を位置づけられたアジア経済における東南アジアの役割を見出す意義を持つ。

期待される成果は、例えば東南アジア地域社会の住民が、自らのイニシアティブに基づいて、外部のエージェントや市場、さらに世界経済とのつながりを示すといった事例を複数示すことである。これによって本研究は、19 世紀東南アジアにおいて地域社会が一定の自律性を維持しつつ、世界経済と接続して変容しつつあったことを示すことを試みる。


サラワク・ビンツルのラタン工場で出荷を待つ丸籐
19 世紀に東南アジア島嶼部の主要な輸出品であったラタンは、現在でも中東、インド、中国といったアジア各地に家具や工芸品の材料として輸出されている

北スラウェシ・南ミナハサ県のココヤシ農園
食用油やマーガリンの原料を採るために19 世紀東南アジア島嶼部各地に作られたココヤシの大規模農園は、現在も北スラウェシなどで見ることができる。