VI-6. 「19世紀半ばの現地発行新聞からみる初期英領ビルマの社会経済状況:史料状況の整理と検討を中心に」(平成29年度 FY2017 新規)


  • 研究代表者:藤村瞳(上智大学・大学院グローバルスタディーズ研究科地域研究専攻)

研究概要

本研究は、英領ビルマの初期において、1830 年代~40 年代にかけて異なる言語で発行された新聞の内容を整理し、比較分析するものである。具体的には、当該時期に現地で発行されていた英語新聞、ビルマ語新聞、カレン語新聞を分析対象とし、いかなる情報がどのように発信されたのか整理する。そのうえで、当時の社会経済状況を示すとともに、1830~40 年代における新聞の創刊という一連の出来事自体が、西洋の近代知・科学技術との「接触の空間」を形成した先駆的事象であったとして考察を試みる。

詳細

本研究の第一の目的は、ビルマにおける最初期の印刷媒体を網羅的に収集し、その内容を整理し提示することである。英領ビルマ・タニンダーリ地域において、1830 年代後半から1840 年代にかけて創刊された新聞が分析対象となる。新聞は3 種類あり、1)英語新聞The Moulmein Chronicle(1836 年創刊)、2)ビルマ語宣教新聞Molamyain Dhama Dhadinza (The Religious Herald )(1842 年 創刊)、③スゴー・カレン語月刊宣教新聞Hsa Tu Gaw (The Morning Star)(1842 年創刊)である。

まず、上記三点の内容を整理し、植民地時代初期の社会経済状況を明らかにする。次に、西洋の近代的知識や概念が土着言語に「翻訳」され、新聞を介して人びとに伝わる機会ができた現象の初期としてこれらの新聞発行を捉え、その歴史的意義を考察する。

本研究の意義は、研究の俎上に載せられてこなかった一次資料の史料的価値を明示できる点である。上記の現地発行新聞は、最も古いものとされるが、困難や史料収集や言語的制約のため本格的な調査はすすんでいない。さらに、本研究では英語・ビルマ語新聞に加え、少数民族言語であるカレン語新聞も併せて史料状況を整理する。包括的に史料状況を捉える見取り図を示すことで、一次資料が僅少である19 世紀ビルマの社会、歴史に関し、研究の進展に寄与できると考える。

ビルマ植民地研究では、ビルマ全土が英領化された19 世紀後半以降を分析対象とすることが多く、19 世紀半ばについては考察が十分でない。本研究は、この空隙を埋める一里塚となると期待できる。さらに、ビルマにおける印刷媒体は19 世紀後半に質・量ともに増え続け、20 世紀には民族ナショナリズムの高まりに関する重要な言論空間としても機能してきた。この点を踏まえると、最初期の印刷媒体である新聞の発行を近代西洋との「接触の空間」として捉える本研究は、印刷媒体が果たした役割をめぐる歴史的位相を考察してゆく際の足掛かりとなると考えられる。

 


ヤンゴン地域カレン宣教協会の敷地内にあるヴィントン教会。この敷地内で19 世紀半ばから多くの現地語新聞・書籍が印刷された。

ビルマ語・カレン語による現地発行新聞the Religious Herald(右)とthe Morning Star (左)。1840 年代発行分のうち現存するものは極めて少ない。