V-1.「『小さな学校』―カルティニによるオランダ語書簡集研究」(平成30年度 FY2018 新規)


  • 研究代表者:富永泰代(大阪大学・外国語学部)

研究概要

カルティニ(Kartini 1879-1904)は従来のオランダ植民地史で常に倫理政策と結び付けて扱われ、また、インドネシア民族主義運動史の中で顕彰されてきた。それに対し拙稿は、これまでのカルティニ研究の最重要史料として従来の研究者が依拠してきたDoor Duisternis tot Licht(『闇を越えて光へ』1911 年)への疑義を呈し、Brieven:aan mevrouw R. M. Abendanon- Mandri en haar echtgenoot(『書簡集──アベンダノン夫人とその夫宛』1987 年)に基づいてDoor Duisternis tot Lichtを見直すことによってアベンダノン(J. H.Abendanon 1856-1925、倫理政策の推進者であった東インド政庁教育・宗教・産業局長官、カルティニの文通相手)が行った編集の意図及び実態を明らかにし、カルティニが民族の枠組を、さらに東インドを超える関係性を追求した女性であったことを提示する。

詳細

拙稿はDoor Duisternis tot Licht(以下1911 年版)を体系的に批判し、カルティニにどのような歪んだ像が与えられたか、即ち、倫理政策の文脈によるカルティニ表象の修正を図り、また、民族主義的な「インドネシア」という枠組にはめ込んできた従来の研究と一線を画す。

Brieven: aan mevrouw R. M. Abendanon-Mandri en haar echtgenoot(以下1987 年版)にはカルティニ書簡が百余通収録されアベンダノン氏宛書簡9 通と夫妻宛書簡4 通を除き、全てアベンダノン夫人宛書簡である。これに比して1911 年版はアベンダノン氏宛書簡5 通と夫妻宛書簡1 通、アベンダノン夫人宛書簡46 通、その全書簡に削除箇所がある。1911 年版のインドネシア語抄訳版であるHabis Gelap Terbitlah Terang は1987 年版と比較して9 割の削除が指摘される。削除箇所を紐解くと、カルティニは女性解放思想に共鳴し「新しい女性」が19 世紀末に萌芽した平和運動や社会福祉活動に専心する姿勢に共感し、彼女自らも地場産業(木彫工芸)の振興に貢献するその通底に教育理念があった。即ち、両書簡の比較はカルティニがジャワを、そして東インドを超える関係性を求めた姿を表出する。

2019 年4 月21 日にはカルティニ生誕140 年を迎え、研究は今も世界中で続けられている。書簡が一世紀にわたり読み継がれてきたことは、彼女が提起した課題の中で百余年、遅々として進まない難問について、カルティニと我々がその問題を共有し一人一人が考え取り組むことを誘うからであろう。書簡中にカルティニが言葉で包み込んでいる真理を追究する学術的価値は、ここにある。この記念すべき年に日本での刊行はカルティニ研究に資すると信じる。


肖像写真:
カルティニ(1879 ─ 1904)

『デ・エホー』創刊号:
『デ・エホー』はオランダ領東インド初の女性週刊誌で1899 年に創刊された。
カルティニは連載記事を書きジャワ人女性の尊厳を表明する機会を得た。